ASDの娘と大学受験|高2から医学部を目指す記録

高校2年生の娘と、医学部を目指すリアルな受験記録。成功も失敗もそのまま書きます。

医学部を目指していても苦手はある|娘が社会を泣いて嫌がった理由

医学部を目指していても苦手はある|娘が社会を泣いて嫌がった理由

 

 

医学部を目指して勉強している娘ですが、昔から全ての教科が得意だったわけではありません。

 

むしろ、どうしても好きになれない教科がありました。

 

それが社会です。

 

小学生の頃から社会の勉強は苦手でした。

 

暗記が中心になる勉強は、本当に嫌だったようです。

 

「社会の勉強をするくらいなら数学をやる。」

 

それが娘の口癖でした。

 

今思えば、娘は勉強が好きだったわけではありません。

 

理解することが好きだったのです。

 

数学なら、

 

「なぜそうなるのか。」

 

「どうしてこの式になるのか。」

 

そこを考えることができます。

 

理科も同じです。

 

人体もそうでした。

 

仕組みを知ることに夢中になっていました。

 

しかし社会は違いました。

 

もちろん社会にも考えることはたくさんあります。

 

それでも小学生だった娘にとっては、「覚える勉強」という印象が強かったのでしょう。

だから本当に嫌がりました。

 

時には泣いて拒否することもありました。

 

親としては、

 

「少しは頑張ってみたら?」

 

と思うこともありました。

 

でも無理に好きにさせることはできません。

 

だから私は考え方を変えました。

 

苦手なことばかり見ても仕方がない。

 

それよりも、娘が夢中になれるものを大切にしよう。

 

そう思うようになりました。

 

その頃の娘は、社会の教科書より人体の本を読んでいる時間の方が長かった気がします。

 

数学の参考書も何度も繰り返していました。

 

同じ本を何周も読み、

 

内容を見なくても説明できるようになるまで続けます。

 

興味があることへの集中力は驚くほどでした。

 

だから私は、娘に勉強を教えた記憶がほとんどありません。

 

「これをやりなさい。」

 

と言うよりも、

 

「好きならやってみればいい。」

 

そう声をかけることの方が多かったと思います。

 

今、医学部を目指して勉強しています。

 

それでも苦手な教科が突然好きになったわけではありません。

 

人には得意なこともあれば苦手なこともあります。

 

私はそれでいいと思っています。

 

完璧な人はいません。

 

大切なのは、自分の得意なことを知り、それを伸ばしていくことではないでしょうか。

 

娘を見ていると、勉強が好きなのではなく、理解することが好きなのだと改めて感じます。

 

だから社会より数学。

 

暗記より理解。

 

その姿勢は、保育園で図鑑を夢中で読んでいた頃から何も変わっていないのだと思います。

「好きならやってみればいい」私が娘に勉強を強制しなかった理由

「好きならやってみればいい」私が娘に勉強を強制しなかった理由

 

 

「勉強しなさい。」

 

私は娘にこの言葉をほとんど言った記憶がありません。

 

勉強が嫌いではなかったからではありません。

 

娘が自分から勉強していたからです。

 

保育園の頃は恐竜や古代生物の図鑑を何度も読んでいました。

 

気が付けば自分で図鑑まで作っていました。

 

小学校では人体に興味を持ちました。

 

人体の本を欲しがり、何度も読み返していました。

 

中学生になると数学に夢中になりました。

 

参考書を何周も繰り返し、納得するまで勉強していました。

 

親としてできたことは、とてもシンプルでした。

 

「好きならやってみればいい。」

 

それだけです。

 

欲しい本があれば買いました。

 

話したければ最後まで聞きました。

 

途中でやめたいとは言いませんでした。

 

寝る時間になっても夢中になっていることがありました。

 

昔は、

 

「もう寝なさい。」

 

と言ったこともあります。

 

すると娘は泣いて嫌がりました。

 

まだ終わっていない。

 

まだ納得していない。

 

そういう気持ちだったのでしょう。

 

それからは考え方を変えました。

 

満足するまでやらせてみよう。

 

すると娘は、自分で区切りを付けて終わるようになりました。

 

私は途中で止めることをやめました。

 

もちろん、何でも好き勝手にさせていたわけではありません。

 

約束は守る。

 

人に迷惑はかけない。

 

その上で、興味を持ったことには思う存分取り組んでほしいと思っていました。

 

子どもは一人ひとり違います。

 

同じ育て方をしても、同じように育つとは限りません。

 

だから私は、「他の子と同じこと」を求めることはありませんでした。

 

娘には娘の興味があります。

 

その興味を大切にしてほしいと思っていました。

 

今、医学部を目指して勉強しています。

 

振り返ると、そこへ向かう道を作ったのは私ではありません。

 

恐竜に夢中になったこと。

 

人体に興味を持ったこと。

 

数学を好きになったこと。

 

すべて娘自身が選んできた道でした。

 

私はその隣で、

 

「好きならやってみればいい。」

 

そう言い続けていただけです。

 

子育てに正解はありません。

 

このやり方が全ての子どもに合うとも思いません。

 

それでも一つだけ思うことがあります。

 

子どもが心から夢中になれるものに出会えたなら、その時間を大切にしてあげることは、とても価値のあることなのではないでしょうか。

 

今の娘を見ていると、あの頃「やめなさい」と言わずに見守った時間は、決して無駄ではなかったのだと思っています。

【英検2級結果】不合格でも挑戦して良かった。次の合格へ向けて見えた課題

【英検2級結果】不合格でも挑戦して良かった。次の合格へ向けて見えた課題

 

 

先日受験した英検2級の結果が届きました。

 

結果は「不合格」。

 

スコアは1259点、合格基準の1520点には届きませんでした。

 

実は今回、本来は準2級を受験する予定でした。しかし、「今の実力を試してみよう」ということで、受験級を一つ上げて2級に挑戦しました。

 

もちろん簡単ではありませんでした。

 

Readingは29%、Listeningは30%、Writingは44%。

 

数字だけを見ると厳しい結果ですが、親としては「受けて良かった」という気持ちの方が大きいです。

 

挑戦したからこそ見えた課題

 

今回の結果から、娘に足りないものがはっきり分かりました。

 

  • 語彙力

  •  
  • 長文読解力

  •  
  • リスニングで英文を素早く理解する力

  •  

逆にWritingは思っていたより点数が取れており、「全く書けない」という状態ではありませんでした。

 

課題が明確になったことで、次に何を勉強すれば良いのかが見えたのは大きな収穫です。

 

もし準2級を受けていたら…

 

おそらく合格していた可能性は高かったと思います。

 

でも、そこで満足していたかもしれません。

 

今回2級を受験したことで、「あと何が必要なのか」を知ることができました。この経験は、大学受験にも必ず生きてくるはずです。

 

次回へ向けて

 

まずは英単語をしっかり固めること。

 

そして毎日少しずつ長文を読み、リスニングで英語を聞く時間を作ること。

 

Writingも継続して添削を受けながら練習していく予定です。

 

娘の第一志望は医学部です。

 

英検はあくまでも通過点。

 

今回の結果に落ち込むのではなく、「何を改善すればいいのか」が分かった一歩として前向きに受け止めています。

 

合格よりも大切なのは、挑戦して次につなげること。

 

次回は今回の経験を生かして、英検2級合格を目指して頑張ります。

興味がないことは本当にやらない|娘の集中力が極端だった理由

興味がないことは本当にやらない|娘の集中力が極端だった理由

 

 

子育てをしていて、娘には昔から一つの特徴がありました。

 

それは、興味があることには驚くほど集中する一方で、興味がないことは本当にやらないことです。

 

保育園の頃は恐竜や古代生物でした。

 

図鑑を何度も読み返し、自分で手作り図鑑まで作っていました。

 

小学校では人体に興味を持ち、人体の本を何度も読み返していました。

 

数学も同じです。

 

一冊の参考書を何度も繰り返し、内容を見なくても説明できるようになるまで勉強します。

 

「もう十分じゃない?」

 

と思うくらい繰り返します。

 

本人は問題が解けるだけでは満足しません。

 

なぜそうなるのか。

 

他の解き方はないのか。

 

人に説明できるくらい理解して初めて納得します。

 

一方で、苦手な教科もありました。

 

それが社会です。

 

社会は暗記が中心になります。

 

娘は昔から暗記だけで覚えることが苦手でした。

 

社会の勉強をしようとすると、本気で嫌がります。

 

小さい頃は泣いて拒否するくらいでした。

 

「社会をやるくらいなら数学をやる。」

 

それが娘の考えでした。

 

私は最初、不思議でした。

 

同じ勉強なのに、なぜここまで違うのだろうと。

 

でも今なら少し分かる気がします。

 

娘は暗記が好きなのではありません。

 

理解することが好きなのです。

 

仕組みを知りたい。

 

理由を知りたい。

 

納得したい。

 

だから数学や理科、人体には夢中になります。

 

逆に、ただ覚えるだけでは興味を持てません。

 

もちろん社会にも考える面白さはあります。

 

しかし当時の娘にとっては、それよりも数学の方が何倍も魅力的だったのでしょう。

 

興味のあることには何時間でも集中できます。

 

興味のないことは、30分でも長く感じます。

 

極端だなと思うこともありました。

 

それでも私は無理に変えようとは思いませんでした。

 

好きなことを伸ばした方が、娘らしく成長できると思っていたからです。

 

今、医学部を目指して勉強していますが、その姿勢は昔と変わっていません。

 

分からないことは調べる。

 

納得するまで繰り返す。

 

人に説明できるまで理解する。

 

その一方で、興味の持てないことには今でも苦労しています。

 

私は、この極端さが悪いことだとは思いません。

 

誰にでも得意なことと苦手なことがあります。

 

大切なのは、苦手を責めることではなく、得意をどう伸ばしていくかだと思っています。

 

娘を見ていて改めて感じたのは、勉強が好きだったのではなく、「理解すること」が好きだったということです。

 

だからこそ、社会の暗記より数学を選び、答えを覚えるより仕組みを理解しようとしてきたのでしょう。

 

それが保育園の頃から変わらない、娘らしさなのだと思っています。

「もっと早く話しかければよかった」本校スクーリング最終日に娘が言われたこと

「もっと早く話しかければよかった」本校スクーリング最終日に娘が言われたこと

 

 

 

娘が本校スクーリングから帰ってきました。

 

帰宅して最初に聞いたのは、

 

「友達できた?」

 

という何気ない質問でした。

 

娘はあっさりと、

 

「できなかった。」

 

と答えました。

 

やっぱり初対面ばかりの環境では難しかったのかなと思いました。

 

ところが話には続きがありました。

 

スクーリングが終わり、帰る直前になって何人かの生徒が娘のところへ来たそうです。

 

「本当は話したかった。」

 

そう言われたそうです。

 

さらに、

 

「インスタ交換して。」

 

とも言われたそうです。

 

娘は、

 

「もう会うこともないし、交換しても意味ないよ。」

 

と答えたそうです。

 

それでも、

 

「お願い。」

 

と言われ、何人かとインスタを交換したそうです。

 

その話を聞いて、私は少し驚きました。

 

娘は帰宅するまで、

 

「誰とも話せなかった。」

 

と思っていたようです。

 

でも実際には違いました。

 

話しかけたいと思っていた人はいたのです。

 

娘が、

 

「それなら最初から話しかければいいのに。」

 

と言うと、

 

相手から返ってきたのは、

 

「近寄りにくかった。」

 

という言葉だったそうです。

 

私はその話を聞いて、人との距離感は本当に難しいものだと感じました。

 

自分では普通にしているつもりでも、

 

相手からは話しかけにくいと思われることがあります。

 

逆に、相手も話したいと思っていても、一歩が踏み出せないこともあります。

 

特に初対面ばかりの環境では、その一歩が想像以上に大きいのでしょう。

 

今回のスクーリングで娘に親友ができたわけではありません。

 

毎日みんなで遊んだわけでもありません。

 

でも最後の最後になって、

 

「話したかった。」

 

と言ってくれる人がいた。

 

それだけでも、娘が周りから悪い印象を持たれていたわけではなかったのだと分かりました。

 

親としては少し安心しました。

 

人生では、最初の一歩を踏み出せずに終わってしまう出会いもあります。

 

今回のスクーリングも、そんな出来事の一つだったのかもしれません。

 

もし誰かが最初の日に「こんにちは」と声をかけていたら、また違う1週間になっていたのかもしれない。

 

そんなことを考えさせられた出来事でした。

参考書は何周もするものだった|娘の勉強法を見て親が驚いたこと

参考書は何周もするものだった|娘の勉強法を見て親が驚いたこと

 

 

 

娘の勉強を見ていて、昔から不思議に思っていたことがあります。

 

それは、同じ参考書を何度も何度も繰り返すことです。

 

最初は私も、

 

「違う参考書もやってみたら?」

 

と思っていました。

 

しかし娘の考えは違いました。

 

「この1冊が全部分かるようになってから。」

 

それが娘の答えでした。

 

問題が解けたから終わりではありません。

 

答えを覚えたから終わりでもありません。

 

娘が目指しているのは、その参考書を見なくても説明できる状態です。

 

何度も繰り返します。

 

同じ問題を解きます。

 

間違えなくなっても、また解きます。

 

私は横で見ながら、

 

「またその参考書?」

 

と思うことが何度もありました。

 

しかし娘にとっては、それが普通でした。

 

保育園の頃も同じでした。

 

気に入った図鑑は何度も読み返していました。

 

小学校では人体の本を何度も読んでいました。

 

一度読んで終わりではありません。

 

何度も読み返し、気が付くと本を見なくても説明できるようになっていました。

 

勉強も全く同じだったのです。

 

色々な参考書に手を出すよりも、一冊を徹底的に理解する。

 

それが娘の勉強法でした。

 

実際、数学の話を聞くと止まりません。

 

「どうしてそうなるのか。」

 

「他の解き方はどうなのか。」

 

「この考え方は別の問題にも使える。」

 

説明はどんどん続きます。

 

もちろん私は途中から分かりません。

 

それでも娘は説明を続けます。

 

友達に数学を教えた時もそうでした。

 

答えだけではなく、考え方まで説明していました。

 

だから友達の点数も大きく伸びたのだと思います。

 

今思えば、娘は昔から暗記で勉強するタイプではありませんでした。

 

理解する。

 

納得する。

 

説明できる。

 

そこまで到達して初めて「分かった」と思えるのでしょう。

 

受験勉強というと、たくさんの参考書を買うイメージを持つ人もいるかもしれません。

 

しかし娘は違いました。

 

新しい参考書を増やすことよりも、今使っている一冊を完璧にすることを優先していました。

 

私はその姿を何年も見てきました。

 

そして今では、その勉強法にも納得しています。

 

一冊を何周もする。

 

内容を見なくても説明できるようになるまで繰り返す。

 

それが娘にとって一番効率の良い勉強法だったのでしょう。

 

勉強法は人それぞれです。

 

これが全ての人に当てはまるとは思いません。

 

それでも娘には、この方法が一番合っていました。

 

興味を持ったことを納得するまで繰り返す。

 

その姿は、保育園で図鑑を読んでいた頃から何も変わっていないのだと思います。

小学生は100点が当たり前だと思っていた父親|他の保護者と話して初めて気付いたこと

小学生は100点が当たり前だと思っていた父親|他の保護者と話して初めて気付いたこと

 

 

 

娘が小学生だった頃、私はテストの点数をほとんど気にしたことがありませんでした。

 

理由は単純です。

 

ほとんど100点だったからです。

 

だから私の中では、

 

「小学生なら100点が普通なんじゃないかな」

 

くらいに思っていました。

 

もちろん、娘に

 

「勉強しなさい」

 

と言った記憶もありません。

 

100点を取れとも言いませんでした。

 

勉強は本人が好きでやっているものでした。

 

そんなある日、空手で一緒だった小学生の保護者の方と話をする機会がありました。

 

話題は学校のテストでした。

 

私は何気なく、

 

「小学生って100点以外あまり取らないですよね?」

 

と言いました。

 

すると、その場の空気が少し変わりました。

 

「えっ?」

 

という反応だったのです。

 

私はその時、初めて気付きました。

 

私にとって当たり前だったことは、他の家庭では当たり前ではなかったのです。

 

今振り返ると、それは娘が特別だったというより、私が他の子どものことを知らなかっただけでした。

 

娘は友達の点数を話すこともありませんでした。

 

私も他の家庭と比べることはありませんでした。

 

だから、それが普通なのだと思い込んでいたのです。

 

もちろん、もし100点でなかったとしても怒ることはなかったと思います。

 

テストの点数は、その時点での結果にすぎません。

 

大切なのは、その子が何に興味を持ち、どう学んでいるかだと思っていました。

 

実際、娘はテストよりも図鑑を読んだり、本を読んだりする時間の方が長かったように思います。

 

保育園の頃は手作り図鑑を作っていました。

 

小学校では人体の本に夢中になりました。

 

分からないことがあると、自分で調べて納得するまでやめませんでした。

 

勉強も、その延長線上だったのだと思います。

 

だから私は、テストの点数よりも、

 

「今日は何を調べたの?」

 

「何を読んでいるの?」

 

という会話の方が多かった気がします。

 

空手の保護者の方との何気ない会話で、自分の「当たり前」が世間の当たり前ではないことに初めて気付きました。

 

親は毎日子どもを見ています。

 

だから、その家庭の「普通」が当たり前になってしまいます。

 

でも、他の家庭と話してみると、新しい発見があります。

 

あの日の出来事は、娘のことだけではなく、私自身の考え方を見直すきっかけにもなりました。

 

子育てをしていると、自分の家の当たり前が、世の中の当たり前だと思ってしまうことがあります。

 

だからこそ、ときどき立ち止まって周りの話を聞いてみることも大切なのだと感じています。